父が旅立ったのは、木犀の香りが街に満ちる、秋の初めのことでした。生前から「大げさな葬式はしないでほしい」と繰り返していた父の遺志を尊重し、私たち家族はごく内輪だけで父を見送ることに決めました。通夜も告別式も、母と私と弟、そして数名の親族だけの、本当に静かな時間でした。その選択に後悔はありません。しかし、全てが終わり、日常が戻ってきた時、私の心には一つの大きな課題が残されていました。父が大切にしていた友人たち、そして私の友人たちに、この事実をどう伝えるべきか、という問題です。電話で話すには、互いに言葉に詰まってしまいそうでした。メールではあまりに軽薄に感じられました。悩んだ末、私は手紙を書くことにしました。一枚一枚、便箋に向き合う時間は、父との思い出を静かにたどる時間でもありました。友人たちとの関係性を思い浮かべながら、言葉を選びました。親しい友人には、少しだけ自分の今の気持ちも正直に綴りました。「まだ実感が湧かないけれど、父がいない寂しさが少しずつ部屋の隅に溜まっていくようです」と。会社関係でお世話になった方には、定型的ながらも、父に代わって心からの感謝を伝えられるよう、言葉を尽くしました。手紙を書き終え、ポストに投函した時、ようやく一つの区切りがついたような気がしました。後日、友人たちから心のこもった返信や電話が届きました。誰も、事後報告になったことを責める人はいませんでした。むしろ、私たちの気持ちを慮り、温かい言葉をかけてくれました。手紙という、時間と手間をかける行為だったからこそ、私たちの誠意と父への想いが伝わったのかもしれないと、今では思っています。