父が亡くなった後、私は長男として喪主を務めることになりました。悲しみにくれる暇もなく、葬儀社の担当者の方と打ち合わせが始まりました。祭壇のランク、返礼品の数、そして、参列者に振る舞う食事の手配。その中で、私が最も頭を悩ませたのが、お弁当の値段でした。担当者の方が見せてくれた分厚いカタログには、通夜振る舞い用、火葬場用、精進落とし用と、場面ごとに様々なお弁当が並んでいました。その値段の幅広さに、私はまず愕然としました。下は二千円ほどの簡素な折詰から、上は一万円を超える豪華な懐石弁当まで。私の心の中では、二つの感情が渦巻いていました。一つは、「父のために、できるだけ良いものを用意してあげたい」という想いです。安いお弁当を選んだら、参列してくださる親戚の方々に「ケチな家だ」と思われないだろうか、何より、天国の父に申し訳が立たないのではないか、という見栄や不安。もう一つは、「これから先の生活もあるのだから、費用はできるだけ抑えたい」という、非常に現実的な感情でした。葬儀全体でかなりの出費になることは目に見えています。ここで無理をして、母や自分たちの今後の生活を圧迫してしまっては、父も決して喜ばないだろう。その葛藤の中で、私は何十種類ものお弁当の写真を、何度も何度も見比べました。さらに、親戚の人数を正確に把握するのも一苦労でした。子供用のメニューは必要なのか、アレルギーを持っている人はいないか。考えれば考えるほど、決断ができなくなっていきました。結局、私は葬儀社の担当者の方に正直に予算と悩みを打ち明けました。そして、父が好きだった煮物が必ず入っていること、という一点だけを条件に、各場面で中くらいのランクのお弁当を選びました。当日、親戚の一人が「この煮物、お父さんの好物だったね」と呟いてくれたのを聞いた時、私は自分の選択が間違っていなかったと、心から安堵したのでした。値段や豪華さだけではない、故人を思う心が大切だと、父が最後に教えてくれた気がしました。